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『パンダと爆買い』第4章 感情的距離 領土問題報道から感じたずれ 続き

第4章 感情的距離
      領土問題報道から感じたずれ 続き

 日本の報道と、中国語圏では主に香港の報道を見ていて最も感じたのは、
この問題に対する温度差というか、ずれです。先に挙げた『亜洲週刊』での
取り上げ方があまりにも激しく、怒りに満ちていたので、他の報道ではどう
なのか気になり、香港の新聞や台湾の新聞を見ました。京都の国際交流
会館で閲覧できたので、何度か通いました。新聞も週刊誌同様、感情的に、
激しく、大きく取り上げていました。
 一方、日本の報道では、取り上げてはいるものの、何だか香港の怒りの
報道を相手にしていないかのような(知っててなのか、それともよく知らなくて
なのかは不明です)、まるで他人事のような、冷めた報道でした。量的に比
べてみても、少なかったです。
 一体この落差は何なんだろう? 香港の人の怒りが大きくなればなるほど、
その怒りは無駄になるのではないか。日本人はもっと香港の人の怒りに気づ
くべきだけど、香港の人も、怒りのエネルギーをもっと日本人に響くような
上手い形で使えないものだろうか? ますます過激になる抗議デモの報道を
見ながら、答えのない問いを自分にずっとし続けていました。周囲の人にこれ
について話しても、日常的に香港の報道をチェックしている人なんていません
から、誰にも相手にされず、虚しかったです。
 国や地域が違えば、社会や文化が違いますから、報道が違ってくるのも
当然といえば当然です。他の国や地域で大きな問題でも、日本でそのまま
報道するのは、国にとって不都合な内容、という側面もあるでしょう。
 ただ、国や地域が異なるから報道が違っても仕方ない、と割り切ってしまい、
お互い近づこうとする努力を放棄するのもどうなのかなと思います。一番
いけないのは、同じ問題を取り上げるにしても、国や地域によって報道が
異なる、という自覚もないまま、新聞に書かれていることやニュースをその
まま受け入れ、それが外国のイメージとして出来上がってしまうことだと思い
ますが。私がソウルに住んでいたときも、あんな怖いところに住んでいて大丈
夫? といった心配を日本の知人からされたのも、日本での朝鮮半島関連の
報道=朝鮮半島の全て、と知らぬ間に思い込んでいる(思い込まされている)
からです。
 大事なのは、ずれを意識し、どうしてずれるのかを考えながら見ていくこと
だと思います。そのためには、外国語で直接情報をつかめなければなりませ
ん。日本では、外国語コンプレックスというか、日常的に外国語で情報を仕入
れる人が、決して多くありません。海外ニュースの翻訳版を見ればいいじゃな
いか、と言われてしまいそうですが、翻訳されたニュースの量というのは、全て
が翻訳されるわけではないので、原文のニュースと比べると少ない。私は、
自分が中国語で(プラス今は韓国語で)直接情報を仕入れるようになって感じ
るのですが、日本での外国のイメージが乏しかったりずれていたりするのは、
日本語だけで情報を得る人が圧倒的に多く、外国語でも日常的に直接ニュー
スを見る人が少ないのが原因のひとつではないでしょうか。
 80年代の留学時には、社会体制や経済格差からくる中国との隔たりを感じ
ましたが、90年代は、尖閣諸島をめぐる香港報道から、感情のずれを痛感
させられました。仲良くなるのは本当に困難なことだ、と気が遠くなるようでし
た。唯一、『亜洲週刊』に尖閣諸島問題も含め何度か投稿したとき、掲載して
もらっていたのが、「こんな状況でも日本人の意見を取り上げてくれている」と、
ひとすじの希望の光を感じました。そのかすかな希望が、今回の執筆につな
がっています。

『パンダと爆買い』第4章 感情的距離 領土問題報道から感じたずれ

第4章 感情的距離
      領土問題報道から感じたずれ

 中国語書籍を読むようになり、私のものの見方、考え方にも大きな影響が
ありました。特に、香港の時事週刊誌『亜洲週刊』の存在は、いろいろな
意味で大きかったです。
 この雑誌を購読するようになったきっかけは、専門学校の中国語講師の
職が決まったことです。ただ語学を教えるのではなく、社会事情もより詳しく
知らなければいけない。何か時事関係の読み物を読もう。それには、香港で
出されているものがいいだろう。ということで、講師の仕事が始まる少し前の
1995年12月から読み始めました。日本では、限られた書店でしか売っていな
いので、香港から郵送してもらう定期購読にしました。以降、2011年春、家族
の転勤でソウルに引っ越すまで、15年ちょっと取り続けました。
 『亜洲週刊』では、香港のみならず、日本、韓国、台湾、シンガポール、アメ
リカそしてヨーロッパや東南アジアその他世界の様々な国や地域の記者が
記事を書いています。それだけで、中国系の人は、世界の隅々にまで存在
しているんだ、と感じました。社会問題に限らず、話題の本や作家のインタ
ビューなど、日本の報道だけ見ているのでは得られない情報も多く、貴重な
情報源ともなりました。
 購読を始めた当初は、わくわく楽しみにしていました。が、じきに、心に
重りがあるような沈んだ気持ちになる記事が続きました。それは、今も日中
間の距離を遠ざける、尖閣諸島をめぐる問題です。
 1996年の夏ごろからだったでしょうか、尖閣諸島をめぐる問題で、日本を
激しく批判する記事が目立つようになりました。そして、大きなデモが続き、
記事はますます激しさを増していきました。
 もう20年も前のことですし、あまり進んで記憶したいような出来事ではない
ので、詳細はすっかり忘れてしまいました。覚えているのは、とにかく抗議
デモがすごかったことと、尖閣諸島上陸を試みた香港の活動家の一人が、
途中で亡くなったということです。
 激しい抗議デモのきっかけは、日本の資料にも出ているのですが、
「保釣運動」です。保釣運動は、中国国内の領土である釣魚台列島(日本
では尖閣諸島)を守れ、という運動のことです。資料によると、やはり香港の
活動家が亡くなっています。
 尖閣諸島をめぐる問題の詳細は、いろいろ出ていますので、ここでは
詳しくは触れないことにします。あまり詳しくない、気の重くなる領土問題に
わざわざ触れたのは、当時関連報道を見ていて痛烈に感じたことを、どう
しても書きたかったからです。

今回は、ここまで。続きはまた次回に。

『パンダと爆買い』第4章 感情的距離 反日感情

第4章 感情的距離
      反日感情

 反日感情―正直、積極的に触れたいテーマではないですが、これを避けて
日中関係を考えることはできません。ただ、日本での中国のイメージとして、
「反日」の占める割合が大きいのは残念です。ここでは、私自身の反日感情
に関わる体験を書きたいと思います。
 パンダとシルクロード、おいしい中華料理、中国ならではの景色、勉強すれ
ばするほど面白くなる中国語……負のイメージより、プラス面の印象がより
強かった私が、最初に「反日」をつきつけられたのは、1985~86年の留学時
でした。
 日本語での文通がきっかけで親しくなった中国人が、河北省に住んでいた
ので会いに行き、その帰りの汽車の中でのことでした。一人車内でウトウト
していた私に、ある中国人男性が突然厳しい口調で話しかけてきました。
 「日本人だろう?」
 そして続けて、「日本人は戦争中、中国ですごく悪いことをした」と言い、
まだ全てを聞き取るのが困難な私に対し、まくしたてました。すると、いつの
間にか、
 「そうだそうだ、日本人はいっぱいひどいことをした!」
 と、私の周りに車内の中国人がおおぜい集まってきたのです。
 驚きと、恐怖心。どう対応していいか、全くわかりませんでした。それは、
中国語会話力がどうこうより、完全に不意討ちだったのと、戦時中日本が
中国でしたことについての知識が、恥ずかしながらほとんどなかったから
です。
 申し訳ない、という気持ちより、ただただ怖くて、すぐにでもその場を逃げ
出したくなりました。が、車内では逃げ場もありません。途中下車するわけ
にもいかず……とにかく、早く皆が席に戻ってほしいとひたすら願い、下を
向き、狸寝入りをするしかありませんでした。本当に生きた心地がしなくて、
北京駅に着いたときは、死ななくてすんだ、というホッとした気持ちと、消え
ない恐怖心の両方が入り混じっていました。
 北京市内で歩いていたら、知らない中国人にいきなり、「私の祖父は日本
人に殺された」と言われたこともあります。そのときの目つきは、それは
すごかったです。私だけでなく、当時の日本人留学生は、どこかで、何らかの
形で、似たような体験をしているでしょう。旅先で、いきなりつばをひっかけら
れたというある日本人留学生の話も聞きました。
 私の母は、広島出身。私は東京生まれ、千葉県育ちですが、子どものころ
広島に何度も行きました。そんな私にとって、戦争のイメージは、子どもの
ころからずっと、=広島、原爆、でした。ずっと、日本人がかわいそうだと思っ
ていました。中国でのことは、全く習わなかったわけではないけれど、学校で
学ぶ歴史というと、どうしてももっと前の時代中心になってしまいます。
 私自身、歴史の関心ある分野が、近現代より古代だったのも、戦争への
知識不足と関係あったかもしれません。今は、古代も近代も切り離して見る
のではなく、つながっているものとして見ますが、学生時代はそこまで考えが
至りませんでした。そんな背景もあり、汽車での体験がより恐ろしいものと
して、今でも記憶に残っているのでしょう。今なら、いきなり同じことを知らな
い人から言われても、自分の考えを言えると思いますが、そう思えるようにな
るまで、ずいぶん時間が経ってしまいました。
 汽車での体験後、中国が怖くなったのは事実です。が、自分の勉強不足を
反省し、もっと知らなきゃいけないと思いました。留学から何年も後ですが、
やっと腰を上げ、戦争関係の本を読むようになりました。日本語で書かれた
ものもありますが、中国語で書かれたものもあります。むしろ、中国語書籍
がより多かったです。中国大陸で買ったものもあったけれど、香港で出版
されたものや台湾書籍もありました。とにかく相手を知らなければ、という
思いからでした。
 その中で感じたことを、次に続けたいと思います。

夏を何とか乗り切る! 続編

先日の記事、何か書こうと思っていて忘れたことがあったなあ……
夜になり思い出したのは、お風呂!です。

夏は暑いしシャワーで、となりがちです。
私も以前はそうでした。
が、ここ何年かは、なるべく湯船に浸かるようにしています。

もともと冷え性で、夏でもふくらはぎや首が冷たいままということが、
少なくありません。
夏でも身体をあたためたい、という気持ちもあり、入っています。

夏も湯船に浸かるようになってから、夏の体調不良がましになりました。
先日ある記事で、夏もお風呂に入ったほうが、シャワーですませるより、
自律神経が整えられる、と出ていました。
これが関係あるのかな、と思いました。
また、皮膚についた汚れは、シャワーで流すより、ぬるめのお風呂に
浸かるほうが、とれるそうですよ。

韓国での3年間は、ほとんどシャワーだけでした。
浴槽もあったのですが、あまりに大きすぎるし、トイレも一緒の部屋で
ゆっくり湯船に浸かるという気になれず……
体調がなんか悪いのは、もしかしたらシャワーばかりのせいかな、と、
マンション地下にあるサウナに、意識して通うようにしました。
自宅の給湯器が具合悪かった、というのもありますが。
サウナも一人で行くと、まわりの人に圧倒されて、身体を洗うときの場所
取りがストレスで、最初のころはほとんど行きませんでした。
というか、行けませんでした。
が、住宅街のサウナは、夕食の時間帯は比較的空いているとわかり、
なるべくそういう時間帯に通いました。
気軽にサウナ通いができたのは、ちょっとなつかしいですね。

今連載している、80年代の中国留学ではというと、一年間シャワーのみ。
一応個室になってはいるけど、部屋にはついておらず、共同。
長い列ができることもありました。
泡だらけになっているときに、突然断水したり、お湯が水になったり。
それでもまだ、留学生寮にいるときはましで、悲惨なのは、地方旅行の
ときでした。
何日もお風呂に入れないまま、ということも何度かありました。
若いから乗り切れたのかもしれませんね。
今はもう、ああいう旅はできません(^_^;)
水がある、お風呂に浸かれる、というのはぜいたくなことなんだな、と
思います。

写真は、東大寺大湯屋特別公開のとき撮ったもの。
内部は撮影できないので、建物だけ。
昔のお風呂事情というのも、なかなか興味深いです。
先日訪れた京都の東福寺では、サウナ式だったと知り、びっくり。
お湯を大量に沸かすと、水も薪も使い過ぎてしまうので、環境を考え
蒸気で垢を落としていたのだそうです。

2017年7月7日撮影 東大寺大湯屋

夏を何とか乗り切る!

猛暑、台風、集中豪雨……
夏は楽しい季節であると同時に、身体的にはとてもつらい季節でもあります。
若いころは夏に泳ぐのが楽しみのひとつだったけど、もともと泳ぐのは得意
でないし、今は海水浴に行こうとか、全く考えないですね。
一番の楽しみは高校野球、あとはお盆に奈良で行われる万灯会など、夏
ならではの行事でしょうか。

以前は、若さで何とか乗り切っていた夏。
ひどい夏バテを、若いころは特に感じませんでした。
でも、年々つらくなっていきます。
昨夏は、引っ越しと重なったこともあり、疲れとストレスがたまったのか、
泌尿器系に不具合が出、通院するはめに。

今夏は、原稿書きの仕事も、特に夏休みなく続くので、とにかく体調を大きく
崩すのだけは避けないと、と思っています。
気をつけていることはいくつかあります。
ありきたりの内容かもしれないけど、今日はそれを書こうと思います。

水分補給を十分に。
歳をとればとるほど、喉の渇きを感じにくくなる、というのは本当です。
数年前には、意識しなくても、喉が渇いて水分を摂っていたのに、今は
意識しないと、暑い日でもしばらく何も飲まずにいる、という場合があり
ます。
昨夏の泌尿器系の不具合は、膀胱炎などの病気ではなく、医師からは、軽い
脱水症状が関係あるのではないか、と言われました。
それもあり、今年は意識して水分補給をするようにしています。
そして、

温かい飲み物を。
飲み物は、温かいものをなるべく飲むようにしています。
6年前韓国に住んでいたとき、延世大語学堂に夏学期から通い始めました。
学校に着いたら、構内にあるカフェでまず冷たい飲み物を買い、教室に向か
いました。
ところが……授業中、お腹がよく痛くなってしまいました。
緊張とストレスのせいかと最初思っていましたが、聴解テストのとき、腹痛を
我慢しながら受けたのがとてもつらく、何とかしなければ、と。
韓国では、暑い時期こそ熱いものを、という「以熱治熱」の考え方があるので、
もしかしたら朝から冷たいものを飲むのがよくないかも、と思い、朝買う飲み
物を、温かいものに変えました。
朝以外にも、気をつけるようにしたところ、改善。
もちろん、腹痛の原因は他にもあったのかもしれないけど、以来、お腹を冷や
さないよう、気をつけています。
もっとも、加齢とともに、冷たいものが欲しくなくなってはくるのですけどね(^_^;)

その他、
栄養はしっかり摂る、冷房は、しんどいと思ったらつける、など。
もともと冷房はあまり好きじゃないので、つけすぎにはならないです。
逆に、つけるべきときにつけずにいてしんどくなることがあるので、ちょっと
しんどいなあと思ったら、室温計、湿度計をチェック。
エアコンをつける温度、湿度に達していたら、スイッチを入れます。

外出するときの服装など、他にも挙げたらきりがないですが、
夏に高校野球観戦するときに気をつけているのは、
なるべく上段の席に座るということです。
先月、千葉で大事な用事があり連泊。
ちょうど地方大会の時期だったし、時間をうまく調整し、観戦しました。
zozoマリンって、内野上段は風が吹いて、気持ちいいくらいでした。
屋根もあるし、暑さをほとんど感じなかったです。
下に降りたらやはり暑かったので、上と下でだいぶ違うんですね。
甲子園の外野席は、屋根はないけど、やはり上のほうが浜風が吹いて
涼しいです。
夏の大会、昨日始まりました。
さて、これからどんな試合の数々が繰り広げられるでしょうか、楽しみ
です!(^^)!

2017年8月7日撮影 黄色いハイビスカス

ご案内

プロフィール

はこ

Author:はこ
2011年3月~2014年3月の3年間韓国で生活。韓国滞在中の2013年2月に「もっともっと韓国」開始、完全帰国後も大阪からしばらくの間韓国情報を中心に発信してきました。が、帰国後日本、中国語文化圏の情報が増えたこともあり、タイトルを「もっともっとアジア」にしました。より多様な内容で進めていきますので、今後ともよろしくお願いします!
拙著『不思議がいっぱい韓国』もよろしくお願いします!

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