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秋の大分、宮崎へ3 神門神社と百済の里

前回紹介した、宮崎の百済の里にある百済の館と西の正倉院は、古くから
あった建物ではなく、90年代に造られたものです。
なぜできたんだろう?それは、すぐそばにある718年創建という神門神社と
関係があるようです。
(以下書くことは、百済の里の案内板やチラシをもとにしています)。

2018年11月12日 神門神社

九州の山里に、奈良の正倉院と同じ建物ができたのは、この神門神社の
宝物の中に、奈良の正倉院宝物と同じ文様の鏡「唐花六花鏡」があることに
由来するそうです。
↓西の正倉院内にて。

2018年11月12日 西の正倉院 唐花六花鏡

神門神社の正祀の祭神は、大仙祀命と百済国禎嘉王。
毎年1月下旬には、禎嘉王の第一王子を祀る木城町の比木神社から神門
神社を訪れる親子再会物語「師走祭」が行われています。

百済の館内に展示されている新聞記事を読んでみると、この百済との歴史
的なつながりや、奈良の正倉院と同じ文様の宝物があるということなどを
もとにし、町おこし的に造られたような印象を受けました。
前回、百済の里を知るきっかけになったのは、韓国の本『私の文化遺産踏査
記 九州編』だと書きました。
改めて読みなおしてみたら、著者は最初、ここを本で必ず紹介しようとは思って
いなかったそうです。
「百済の里」としては、歴史が浅いし……と。
でも、神門神社や師走祭のことがあるので、書くと決めたようです。

しかし……百済の滅亡により人々が逃げてきたといっても、なんで宮崎の
山の中に?と、不思議でした。
長崎や福岡など、朝鮮半島から近いところなら、まだわかるのですが。
その疑問は、西の正倉院に書かれた説明で解けました。
元々は、近畿のほうまで行ったのだけれど、そこでまた混乱が起き、それを
避けるため瀬戸内海を通って移動、そして漂流して着いたのが、宮崎の海岸
部だったと言われているのだそうです。
最初から九州山地を目指していたのではなかったのですね。

日本各地にある朝鮮半島ゆかりの地。
伝説的な部分もあるでしょうし、よくわかっていないこともまだ多いでしょうが、
いずれにしても、古代、半島から人々がやってきたんだなあということを、
今回の旅で改めて感じました。
知れば知るほど興味深くなっていきます。
ゆかりの地を訪ねる旅、加速しそうです!(^^)!
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プロフィール

はこ

Author:はこ
2011年3月~2014年3月の3年間韓国で生活。韓国滞在中の2013年2月に「もっともっと韓国」開始、完全帰国後も大阪からしばらくの間韓国情報を中心に発信してきました。が、帰国後日本、中国語文化圏の情報が増えたこともあり、タイトルを「もっともっとアジア」にしました。より多様な内容で進めていきますので、今後ともよろしくお願いします!
拙著『不思議がいっぱい韓国』もよろしくお願いします!

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