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済州島の四・三平和記念館へ

語学の話などを書いていたため空隔があいてしまいましたが、1月に済州島
に行ったとき、初日に四・三平和記念館を訪れました。
2008年にできたこの記念館には、2009年夏済州島を訪れたとき、入口まで
行きました。
が、時間不足で、中をじっくり見ることはできず、場所の確認程度に終わって
しまいました。
いつかもう一度訪れたい。
それが今回かないました。

2018年1月6日 済州島四・三平和記念館建物

私は韓国の歴史、特に近現代史はよくわかりません。
勉強の必要性を感じ、可能な限り知ろうと試みてはいるものの、
本当に詳しくないです。
四・三事件のことも、長いこと存在すら知らなかったですし、今も
よくわからない。なので、私からきちんとした説明は正直できないです。
それもあって、ブログにもなかなか書けずにいました。
が、やはり足を運んでもらいたく、書くことにしました。

今月16日、朝日新聞の「社説余滴」に、この事件について触れる記事が
出ましたので、四・三事件についてはここから引用します。

70年前、済州島は「虐殺の島」と化した。
1948年4月3日、南単独の選挙に反対する
武装勢力が蜂起し、軍や警察が鎮圧に
のり出す。集落が次々と焼かれ、大勢の
島民が惨殺された。弾圧は朝鮮戦争
(50~53年)の前後まで続き、犠牲者は
約3万人に及ぶという。


館内には説明文がたくさんありました。
9年前記念館の前まで訪れたときは、まだ韓国語があまりできなかった
ので、もし入っていても韓国語の説明を読むのは無理だったでしょう。
(音声案内で日本語が聞けるとしても、できればその国の言葉で読み
たいので)。
そういう意味では、ある程度の分量の文章が読めるようになってから
訪れて、よかったかもしれません。
もちろん今も、スラスラは読めませんし、全部はわかりませんが。

説明文を読み、展示品を見て受けた衝撃は本当に大きく、一言では
表せません。
特に感じたのは、やはりお年寄りや子供など、弱い立場の人たちが
数多く犠牲になったこと。
それと、集落ごと焼かれてしまい、消滅してしまった集落が少なくなかった
ことです。

済州島は、時代劇を見ていてもわかるとおり、流刑地でした。
そのことだけでも胸が痛くなりますが、戦時中はもちろん、第二次世界大戦
後にこんな悲劇があったなんて……
景色が素晴らしいだけに、よけいに悲しい気持ちになります。
それまであった共同体は崩され、今も表には出なくても、その後遺症はきっと
のこっているだろうなと思います。

五・一八(光州事件)は日本で大きく報道されたので、韓国に大きな興味を
持っていなくても、この事件は覚えている人も少なくないと思います。
私も若いころは、韓国といえばこの事件が思い浮かぶほどでした。
が、済州島の事件は、知らない人が少なくないかもしれません。
悲しい歴史を知る場所に行くのはつらいですが、済州島に行かれる人には、
ぜひ一度は訪れてもらいたいと願っています。

2018年1月6日 済州島四・三平和公園 碑

記念館は内陸部にあります。
本数は多くないものの、町に出る路線バスも走っています。
が、暗くなると、バスを待つのがとても心細いです。
タクシーもほとんど通らないし……
公共交通機関で行く人は、なるべく明るい時間帯に!
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プロフィール

はこ

Author:はこ
2011年3月~2014年3月の3年間韓国で生活。韓国滞在中の2013年2月に「もっともっと韓国」開始、完全帰国後も大阪からしばらくの間韓国情報を中心に発信してきました。が、帰国後日本、中国語文化圏の情報が増えたこともあり、タイトルを「もっともっとアジア」にしました。より多様な内容で進めていきますので、今後ともよろしくお願いします!
拙著『不思議がいっぱい韓国』もよろしくお願いします!

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