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『パンダと爆買い』第4章 感情的距離 反日感情

第4章 感情的距離
      反日感情

 反日感情―正直、積極的に触れたいテーマではないですが、これを避けて
日中関係を考えることはできません。ただ、日本での中国のイメージとして、
「反日」の占める割合が大きいのは残念です。ここでは、私自身の反日感情
に関わる体験を書きたいと思います。
 パンダとシルクロード、おいしい中華料理、中国ならではの景色、勉強すれ
ばするほど面白くなる中国語……負のイメージより、プラス面の印象がより
強かった私が、最初に「反日」をつきつけられたのは、1985~86年の留学時
でした。
 日本語での文通がきっかけで親しくなった中国人が、河北省に住んでいた
ので会いに行き、その帰りの汽車の中でのことでした。一人車内でウトウト
していた私に、ある中国人男性が突然厳しい口調で話しかけてきました。
 「日本人だろう?」
 そして続けて、「日本人は戦争中、中国ですごく悪いことをした」と言い、
まだ全てを聞き取るのが困難な私に対し、まくしたてました。すると、いつの
間にか、
 「そうだそうだ、日本人はいっぱいひどいことをした!」
 と、私の周りに車内の中国人がおおぜい集まってきたのです。
 驚きと、恐怖心。どう対応していいか、全くわかりませんでした。それは、
中国語会話力がどうこうより、完全に不意討ちだったのと、戦時中日本が
中国でしたことについての知識が、恥ずかしながらほとんどなかったから
です。
 申し訳ない、という気持ちより、ただただ怖くて、すぐにでもその場を逃げ
出したくなりました。が、車内では逃げ場もありません。途中下車するわけ
にもいかず……とにかく、早く皆が席に戻ってほしいとひたすら願い、下を
向き、狸寝入りをするしかありませんでした。本当に生きた心地がしなくて、
北京駅に着いたときは、死ななくてすんだ、というホッとした気持ちと、消え
ない恐怖心の両方が入り混じっていました。
 北京市内で歩いていたら、知らない中国人にいきなり、「私の祖父は日本
人に殺された」と言われたこともあります。そのときの目つきは、それは
すごかったです。私だけでなく、当時の日本人留学生は、どこかで、何らかの
形で、似たような体験をしているでしょう。旅先で、いきなりつばをひっかけら
れたというある日本人留学生の話も聞きました。
 私の母は、広島出身。私は東京生まれ、千葉県育ちですが、子どものころ
広島に何度も行きました。そんな私にとって、戦争のイメージは、子どもの
ころからずっと、=広島、原爆、でした。ずっと、日本人がかわいそうだと思っ
ていました。中国でのことは、全く習わなかったわけではないけれど、学校で
学ぶ歴史というと、どうしてももっと前の時代中心になってしまいます。
 私自身、歴史の関心ある分野が、近現代より古代だったのも、戦争への
知識不足と関係あったかもしれません。今は、古代も近代も切り離して見る
のではなく、つながっているものとして見ますが、学生時代はそこまで考えが
至りませんでした。そんな背景もあり、汽車での体験がより恐ろしいものと
して、今でも記憶に残っているのでしょう。今なら、いきなり同じことを知らな
い人から言われても、自分の考えを言えると思いますが、そう思えるようにな
るまで、ずいぶん時間が経ってしまいました。
 汽車での体験後、中国が怖くなったのは事実です。が、自分の勉強不足を
反省し、もっと知らなきゃいけないと思いました。留学から何年も後ですが、
やっと腰を上げ、戦争関係の本を読むようになりました。日本語で書かれた
ものもありますが、中国語で書かれたものもあります。むしろ、中国語書籍
がより多かったです。中国大陸で買ったものもあったけれど、香港で出版
されたものや台湾書籍もありました。とにかく相手を知らなければ、という
思いからでした。
 その中で感じたことを、次に続けたいと思います。
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プロフィール

はこ

Author:はこ
2011年3月~2014年3月の3年間韓国で生活。韓国滞在中の2013年2月に「もっともっと韓国」開始、完全帰国後も大阪からしばらくの間韓国情報を中心に発信してきました。が、帰国後日本、中国語文化圏の情報が増えたこともあり、タイトルを「もっともっとアジア」にしました。より多様な内容で進めていきますので、今後ともよろしくお願いします!
拙著『不思議がいっぱい韓国』もよろしくお願いします!

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