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『パンダと爆買い』第3章 社会的距離 友達になれない 続き

第3章 社会的距離
      友達になれない 続き

 外出したときも、壁を感じました。80年代は、外国人のみ可で、中国人は
入ってはダメという場所が、ホテルを中心としてありました。85~86年の留学
時、私はよく中国人に間違えられ、北京飯店などホテルの入口で、呼び止め
られたものです。前にも述べたように、当時様々な国の留学生が来ていたに
もかかわらず、中国人と外国人は、住居、出かける場所、その他多くの場面
で線引きされていました。今、80年代中国に留学していたと、比較的最近
知り合った日本人に話すと、「ああ、人民元と外貨の両方があった時代です
よね~」と、珍しそうに言われます。通貨も分けられていた。それだけ、隔たり
が大きかったです。
 中国人と外国人の距離だけでなく、中国人と外国の距離も大きかったです。
渡航先にもよるとは思いますが、80年代、中国人が外国に行くのは簡単な
ことではありませんでした。
 もちろん、外国に行きたい人はいて、私の周りにも日本への留学を希望
する人が何人もいました。そこで出てくるのが、保証人の問題です。
 保証人がいないと、留学できない。ですので、まだ20代の、自分の将来すら
どうなるか不透明で不安いっぱいの私ですら、留学したい中国人にとっては、
頼みの綱だったようです。もう、どれだけの人に保証人になってほしいと頼ま
れたか! そしてそれは、友達本人からだけではありません。北京の留学先
の先生からも、身内や親しい人の子どもが日本への留学を希望しているから、
保証人になってほしいと、帰国後連絡がありました。
 なれるものなら、なりたい。でも、若いころの私は社会的力もなく、現実的に
不可能。申し訳ないと思いながら、断りました。すると、断ってから連絡がパタ
リと途絶えるのです。保証人になるのを断っても友達関係が続いた人は、残
念ながら一人もいませんでした。
 一体、中国人との友達づき合いって何なんだろう? 知り合った人はみな、
私の性格がどうだとか、気が合うとか、そういうのを基準につき合うのでなく、
日本に渡るための手段として見ていたのだろうか?
 なんだか、とても虚しくなってしまいましたね。いくら中国語を勉強しても、
人間関係には結びつかない。言語はコミュニケーションの手段なのに、本当
に残念でした。
 でも、もし自分が相手の立場だったら、と考えると、気持ちはわからないでも
ありません。私はごく普通の家庭の普通の学生だけど、費用さえ何とかなれ
ば、比較的自由に外国へ出られる。そこの部分が平等でないのに、対等な
人間関係を築くのは容易ではないです。一方、韓国人の友達が多いのは、
こういった壁がほとんどなく平等につき合えたからという理由もあるかもしれ
ません。
 ひとつ目の壁の話が長くなってしまいましたが、もうひとつの壁は経済格差
です。



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プロフィール

はこ

Author:はこ
2011年3月~2014年3月の3年間韓国で生活。韓国滞在中の2013年2月に「もっともっと韓国」開始、完全帰国後も大阪からしばらくの間韓国情報を中心に発信してきました。が、帰国後日本、中国語文化圏の情報が増えたこともあり、タイトルを「もっともっとアジア」にしました。より多様な内容で進めていきますので、今後ともよろしくお願いします!
拙著『不思議がいっぱい韓国』もよろしくお願いします!

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