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『パンダと爆買い』第3章 社会的距離 東アジアからの留学生

第3章 社会的距離
      東アジアからの留学生

 2001年夏、大連に短期留学したとき、本当に変わったなあと感慨深かった
のは、韓国人留学生がたくさん学びに来ていたことです。
 1985年秋から1年間北京に留学したときは、数多くの日本人留学生がいま
した。1983年夏の短期留学からまだそんなに経っていないのに、業者を通し
て留学した日本人が大勢いるのを見、驚きました。私自身も、1年間の留学
のときは業者を通してでした。企業の派遣留学も多かったです。商社を中心
に、メーカー、金融機関など、職種も様々。それだけ、日本では仕事での中
国語の必要度が高まっていたのでしょう。
 それに対し、80年代韓国人留学生はゼロ。国交がなかったのだから当たり
前ではありますが、今の状況と比べるとあまりにも対照的です。
 2011年3月から3年間、家族の転勤でソウルに住んでいました。そのとき、
韓国の中国語ブームを実感しました。もともと塾の多いソウルで、中国語
教室の看板をあちこちで目にしました。韓国は、日本語のできる人が少なく
ないですが、日本語よりも中国語教室のほうが目立っていましたね。ソウル
の中心部に、ハングルで「イーオルサン」と書かれた中国語教室の看板が
あって、何だろう……と考えていたら、数字の一、二、三のことでした。
ハングルでの中国語の発音表記は、すぐには理解できません。
 ソウルの書店の語学コーナーは、試験対策問題集があふれています。
ダントツは英語だけど、次は中国語ですね。中国政府公認の中国語検定・
HSK対策は、種類も豊富で、値段も日本の問題集よりずっと安かったので、
私も買いました。
 ただ、語学コーナー以外には中国関係の本はあまりなく、おそらく日本の
ほうが中国関係の情報は多いのでは? と感じました。80年代、韓国人
留学生に出会うことがなかったことを思うと、中韓は近いのに、ほとんど交流
のなかったことが、今、情報が語学やビジネスなど実用的な部分に偏り、
文化や歴史など多様な面での情報が不足しているのと関係あるかもしれま
せん。
 80年代は、朝鮮半島からの留学生というと、北朝鮮からの学生でした。
集団で、みな同じ服装で、バッジをつけて行動していました。残念ながら、
私のクラスには1人もいなかったし、授業外での接触もなかったので、交流
の経験はありません。ただ、目にするときはいつも集団で行動していたという
のが、他の国からの留学生にはあまり見られない姿だったので、30年経った
今もよく覚えています。

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プロフィール

はこ

Author:はこ
2011年3月~2014年3月の3年間韓国で生活。韓国滞在中の2013年2月に「もっともっと韓国」開始、完全帰国後も大阪からしばらくの間韓国情報を中心に発信してきました。が、帰国後日本、中国語文化圏の情報が増えたこともあり、タイトルを「もっともっとアジア」にしました。より多様な内容で進めていきますので、今後ともよろしくお願いします!
拙著『不思議がいっぱい韓国』もよろしくお願いします!

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