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『パンダと爆買い』第2章 2度目の留学 電話と電報

第2章 2度目の留学
      電話と電報

 今、日本で携帯電話をごく自然に操作する中国人観光客を見ると、つい
感心してしまいます。昔の中国を知らなければ、何も不思議でない光景です
が。それは、中国人がどうこうというよりは、80年代の留学時、私自身通信
手段が不便で苦労した経験があるからでしょう。
 2016年、すっかりさびてしまった中国語の聞き取り能力を少しでも取り戻す
ため、『街なかの中国語 Part3』(東方書店)で聞き取りの練習を始めました。
その中に、80年代留学時の電話事情を思い出すような文がありました。文は
私の留学より前の時期の電話事情についてでした。ある教授いわく、

  改革開放前の1975年、北京から江西省の実家に電話をかけるのに大変
 な苦労をした。個人の家に電話なんてない時代だった。勤め先には電話は
 あったものの、長距離電話はかけられなかったので、北京電信大楼まで出
 かけていった。しかし電話をかける人は多く、順番待ち。やっと自分の番が
 回ってきたと思ったら、なかなか電話が通じない。通じたあとも、雑音が
 ひどく、とても疲れた。

と。私が留学したのは、これよりあとですが、電話事情はこの文と大きな変化
はなかったように思います。私の中国人の友人は、電話は職場のものを使っ
ていました。私も、中国人の自宅に電話をかけた覚えがないですね。
 長距離電話をかけるのが大変なのも、同じでした。中国国内もそうでしたが、
日本に電話をかけるのもひと苦労。留学生寮には、一応電話はあったものの、
国際電話はかけられません。わざわざホテルまで出かけて行き、順番待ち。
人が少ないときや、かけてから比較的早く電話がつながったときは、本当に
ラッキーでしたね。
 2001年の大連短期留学では、部屋に電話があり、日本へも直接かけること
ができ、驚いたものです。

 80年代は電話をかけるのも困難だったので、中国の地方に住む友人と連絡
を取る際、時間に余裕があるときは手紙、余裕がないときは電報を打ちました。
電報って、当時日本では、さすがに携帯電話はまだ普及していなかったものの、
祝電や弔電以外ではあまり使う機会がなかったのではないでしょうか。
 電報を打つのは面倒ではあったけれど、いい経験になりましたね。なるべく
安上がりにするため、文字数のより少ない中国語を一生懸命考えました。
「上海に到着する」は「抵沪」(ティーフー)だよ、というふうに、中国人からも教わ
りました。この「沪」や「榕」(ロン 福建省福州の別称)のように、地名に別称が
あることを、電報を打つことで初めて知りました。こういう別称には、中国語の
文章を読んでいるとたまに遭遇するので、電報で別称を覚えたことが役に立ち
ました。 
 一方、上述の聞き取りのテキストには、「换手机」(ホアン ショウチ― 携帯
電話の買い替え)という文もあります。何度も携帯電話を買い替えてきた男性
が、その理由を語るという内容です。国内の長距離電話をかけるのにも苦労
した時代と、何とも対照的です。
 もっとも、私が幼いころも家に電話はなかったし、学生時代家に電話は1台
で、友人からの電話も親がつないでいましたから、日本の通信事情もずいぶん
変わりました。

*この文は、以前ブログに書いた記事と重複します。

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プロフィール

はこ

Author:はこ
2011年3月~2014年3月の3年間韓国で生活。韓国滞在中の2013年2月に「もっともっと韓国」開始、完全帰国後も大阪からしばらくの間韓国情報を中心に発信してきました。が、帰国後日本、中国語文化圏の情報が増えたこともあり、タイトルを「もっともっとアジア」にしました。より多様な内容で進めていきますので、今後ともよろしくお願いします!
拙著『不思議がいっぱい韓国』もよろしくお願いします!

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