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『私の文化遺産踏査記 日本編3 京都の歴史』を手に嵐山を訪れて 1

帰国してから、兪弘濬著『私の文化遺産踏査記 日本編』の4冊をもとに、本に紹介
されている神社仏閣などを訪れるのが楽しみのひとつとなっています。
先日、『日本編3 京都の歴史』の「秦氏遺跡巡礼」に書かれている場所に行って
きました。

目的地の最寄り駅は、阪急嵐山駅。
以前関西に住んでいたとき、嵐山はよく訪れましたが、昨春大阪に引っ越してからは、
行けそうでなかなか行けませんでした。
今回、何年ぶりかわからないほど久しぶりに行きました。

嵐山といえばすぐ思い浮かぶのが渡月橋ですが、この渡月橋のかかる大堰川は、
かつて氾濫を繰り返す川でした。
5世紀後半、新羅系渡来人秦氏が、ここに堰を築き、水路を引きました。
きっと当時としては、大変な技術であったでしょう。
それによって湿地が農地になりました。
その堰が造られたと推定されている場所を示す石碑・一ノ井堰碑が、阪急嵐山駅から
近い所に立っています。

2015年2月1日 嵐山 一ノ井堰碑

駅から近いとはいうものの、住宅地にひっそりと立っているので、注意して探さない
と見つかりません。
私は本に出ていた地図を元に行くことができましたが、著者はこの場所を探すのに
苦労したそうで、そんな話も本に載っています。
最初に探したときは残念ながら見つからず、この本を書くためにもう一度探しに来て、
やっと見つけたのだそうです。
こういったエピソードがあちこちに書かれているのも、踏査記日本編の魅力であり、
著者が身近に感じられる理由だと思います。

秦氏系の人によって治水工事がされたことを示す他の石碑・法輪寺道昌遺業大堰
阯も、見てきました。吉兆の前辺りにあります。

2015年2月1日 嵐山 法輪寺道昌遺業大堰阯

道昌(798~875年)は讃岐出身の平安時代の僧で、俗姓(僧侶の在俗の時の氏姓)は
秦氏です。
道昌について調べてみると、とても長い文章が出てくるので、ここではごく簡単に
書きます。
道昌は、836年広隆寺別当に就任し、焼失した堂塔や仏像の復興に努め、広隆寺
中興の祖といわれています。
また、かつて秦氏が造った大堰を修復し、嵯峨葛井寺(さがふじいでら)を整備して
法輪寺としました。
この石碑は、道昌が造った大堰の跡を示すものだそうです。

この他、本に出ていた小さな神社も訪れたので、次回はその話と、今回嵐山に
行って感じたことなどを書きたいと思います!(^^)!






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プロフィール

はこ

Author:はこ
2011年3月~2014年3月の3年間韓国で生活。韓国滞在中の2013年2月に「もっともっと韓国」開始、完全帰国後も大阪からしばらくの間韓国情報を中心に発信してきました。が、帰国後日本、中国語文化圏の情報が増えたこともあり、タイトルを「もっともっとアジア」にしました。より多様な内容で進めていきますので、今後ともよろしくお願いします!
拙著『不思議がいっぱい韓国』もよろしくお願いします!

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