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食べ物からわかる暮らし、歴史

初めて韓国を訪れたのは、2004年。
10年が経ちました。
最初の訪韓からもだいぶ変わったし、ソウルに住んでいた2011年3月~2014年3月
の間にも、変わりました。

もっと前に訪韓したことのある人の話を聞くと、自分には想像できないくらいの
今との違いがあります。
もちろん、韓国の人の話を聞いていても、そう感じます。
特に、私より若い、40代の人たちの食べ物にまつわる話には、驚くほどです。

中でも忘れられない話が2つ。
ポンテギという食べ物を、訪韓した人は見たことがあると思います。
私は(私に限らないと思いますが)、においだけで「あ、ポンテギ!」と気づきます。
辞書で調べてみると、「蛹」という意味。また、煮付けた蛹のことで、
街でよく見かけるのは、これ。
見た目もにおいも苦手なので、すすめられてもどうしても食べられなかった食べ物。
ところが、ある知人によると、子どものころは、ポンテギが貴重なおやつで、
汁まですすって食べたのだそうです。
他の知人も、おいしそうに食べるんですが、ただ味が気に入っているから食べる
のではなさそう。
子どものころの記憶とともにある食べ物なんだなあ、と見ていて感じます。

また、ある人によると、子どものころは、お肉は大変貴重で、
普段は食べることができなかった、と。
村でおめでたいことがあったとき、例えばソウル大に合格した者が出たら、
その親が豚を丸々調理して村中の人に振舞う、そんなときに食べられる
贅沢品だったのだそうです。

どちらも、私より年下の人から聞いた話です。
私も子どものころは、決して経済的には豊かな家で育ったわけではないですが、
お肉が食べられないなんて、ちょっと考えられない。
このような話からも、韓国が短期間に経済的にどれだけ変化したか、が
わかるなあ、と思います。

ところで先日、プデ(部隊)チゲのお店を紹介しました。
洋風食材と韓国食材の混ざったプデチゲ、由来についてよく知らなかった
のですが、由来について、えびすけさんから、韓国の大学生から聞いた話、という
コメントをいただきました。
ありがとうございます(^-^)
私も、京畿道議政府がプデチゲで有名な理由とか、いろいろ知りたかったので、
ちょっと調べてみました。
諸説あるようで、ひとつは、この「部隊」というのは、「在韓米軍部隊」。
在韓米軍部隊の食べ物であるスパムなどのハム類と、コチュジャンなど韓国の
食材を合わせ、できたというもの。
朝鮮戦争で深刻な食糧不足になったころ、米軍関係の仕事をしていた韓国人が、
米軍の食材を利用し(残飯だったとも、食材をこっそり……とも。また、救援物資
だったとも。いろいろ書かれています)、韓国の食材と合わせて作ったのだそうです。
議政府は、米軍陸軍部隊基地が多くあるところ。
それでプデチゲで有名なんですね。
また、米軍と食糧補給などを融通し合っていた韓国軍部隊の若い兵士が、
共同生活をする中で広まったとも言われています。
いずれにしても、食べるものにも困る貧しかった時代から生まれたもの
なんですね。

チャジャンミョンについて調べたときも、韓国の歴史が詰まっている食べ物
だなあ、と思いました。
食べ物の由来から韓国の歴史を見ると、面白いですね。



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Comment

時間が本当に早い韓国 

私も同じような経験をしました。
私より若干若い女性が、「昔は、貧乏で、一日1回しか、食事を食べられなかった。両親が仕事してて、私が家事全てやった。キムチ漬けも一人でした。」といいました。
私の両親はともに兄弟が多く、貧しかったらしくて、
両親からは彼女と同じような話を聞きましたが、
私と同じぐらいの人からは、聞いたことがない。むしろ、
今の日本の子ども達で、そういう子ども達がいると聞きました。
いずれにしても、
韓国では、私の母の生きた時代と私の生きた時代を一人の人が生きているんだな、、、、。って感じます。
その時間の中に、韓国では独裁政権や民主化運動、IMF危機などなど、人生を揺るがすような色々な事件が起きている。私には想像がちょっと想像が出来ません。
だからこそ、一日一日を必死にあわてて生きているのかなとも思いますが、
このところ、癒しだとか、ヒーリングだとかという言葉を韓国で聞くようになって、どこか嬉しくなる私です。
スピリチュアルな話は、まだあまり通じませんが。笑。
  • posted by riesyuwa 
  • URL 
  • 2014.06/29 23:28分 
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Re: 時間が本当に早い韓国 

やはり、韓国人との交流があると、同じような話を聞くのですね。私たちの親の世代と私たちの世代、二つの世代を韓国の人が一人で生きているよう、ということ、本当にそう思います。地方出身の私より少し若い韓国人女性から、家の(長女以外の)女性は、男性と一緒に食卓を囲めなかったって聞いたときは、耳を疑いました。自分の親からも、そこまでの話は聞いたことがないですし。短期間に激変したんだなあ、と思います。
「ヒーリング」は、私も韓国滞在中よく聞きました。娯楽や美容、健康、グルメ情報がやたらと多いのも、時代が変わったことをあらわしているんでしょうね。
  • posted by はこ 
  • URL 
  • 2014.06/30 08:33分 
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韓国で生活していなくても感じます 

ソウルオリンピックの翌年(89年)に始めて韓国旅行をし、その後15年程経ち2回目のソウルでは隔世の感を覚えました。少し前に作家:申京淑さんの邦題「母をお願い」と言う小説を読み(残念ながら翻訳で)驚きです。多分ご自身がモデルですが、私とそれ程年の違わない登場人物は地方とは言え家が貧しくて中学に行けなかったと。私の母は80近くで山奥の村落出身ですが、母もその姉も高校へ行っています。長男だけが優遇されるのも日本の戦前の様に感じました。本当に韓国は大急ぎで発展したので、余計にみんなせっかちなんだろうか?ってちょっと思ってしまいますね。。
  • posted by うー 
  • URL 
  • 2014.07/07 21:16分 
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Re: 韓国で生活していなくても感じます 

かなり前に訪韓されているのですね!89年の韓国、私にはとても想像できません。日本の89年と今は、韓国のそれと比べたら、あまり大きな変化はないかもしれませんが…… 今の韓国の中高年世代は、日本の同世代の人とその親世代の2世代分、人によっては3世代分の人生を歩んでいるのかも、と思います。義務教育も受けられなかったなんて、自分の親世代よりは祖父母世代の話ですから。
それが今は、年配者でもスマホを使いこなし、目まぐるしく流れが変わるのにもついていってますから、すごい変化ですよね。
  • posted by はこ 
  • URL 
  • 2014.07/08 08:42分 
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プロフィール

はこ

Author:はこ
2011年3月~2014年3月の3年間韓国で生活。韓国滞在中の2013年2月に「もっともっと韓国」開始、完全帰国後も大阪からしばらくの間韓国情報を中心に発信してきました。が、帰国後日本、中国語文化圏の情報が増えたこともあり、タイトルを「もっともっとアジア」にしました。より多様な内容で進めていきますので、今後ともよろしくお願いします!
拙著『不思議がいっぱい韓国』もよろしくお願いします!

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