2013.08/15 [Thu]
8月15日
日本は今夏特別暑いようですね。
湿度が高いから、よけいつらいでしょう。
早く涼しくなるといいですが。
ソウルもとても暑いです。
が、40度近くまで気温が上がることもないので、何とかガマンできます。
今日もまだ暑いけど、時折涼しい風が部屋に入ってきます。
今日8月15日は、ご存知のとおり韓国では祝日です。
でも外には出ず、家で過ごしています。
8月15日に何かを書く……とても複雑で、むずかしいですね。
私の母は、広島出身。
私が育ったのは関東ですが、夏休みはよく広島で過ごしました。
原爆ドームは、幼いころからなじみのある存在です。
広島の内陸部に住んでいた母は、原爆投下後次々とトラックで
運ばれてきた被爆者の介護をする救護隊でした。
亡祖母もそうです。
母から一度だけ、当時の惨状を聞きました。
亡祖父は、投下日前日まで広島市内に滞在。
詳しい事情は忘れてしまいましたが、投下日当日も市内にとどまる可能性も
あったのだそうです。
そこは爆心地に近いところだったので、もし残っていたら、亡くなっていた
でしょう。
人の運命は紙一重だと感じます。
しかし祖父は、原爆投下直後の市内に入り、会社の同僚を探しまわったそうです。
祖父から直接聞いたのではなく、亡くなった後に母から聞いた話ですが。
私が生まれたころ、祖父は失明していたので、私にとってはそれが祖父の最も
強い印象でありつらいことだったのですが、入市被爆のことを死後初めて知り、
よけいにショックでした。
原爆ドームが身近だった私にとって、長い間、戦争=原爆でした。
それが、80年代の中国留学中、知らない中国人から戦時中日本がしたことに
ついて突然責められるという経験をして……とても混乱しました。
一度は、一人列車に乗っていたときに囲まれて責められたので、あのときは
殺されるかと、本当に恐怖でした。
その後しばらくしてから、戦争をどうとらえたらいいかを考えようと、
いろいろ試みました。
日本、中国で出された戦争関係の本を読んだり、いろいろな集会に顔を出したり、
日本国内、海外の戦争に関する博物館に通ったり……
でも今でも、どうしたらいいのか、よくわかりません。
というか、ますますわからなくなってしまいました。
今、日韓、日中の関係がとても悪いことは、とても悲しいしつらいです。
どうしたらいいんでしょう……
今自分に思い浮かぶことのひとつは、日本人には、韓国や中国の戦争関係の
施設に、ひとつくらいは足を運んでほしいということ。
韓国や中国の人には、広島、長崎は一度訪れてほしいということです。
決して楽しいことじゃありませんが、美味しいもの食べたり、観光したり、
楽しいこととセットにして。
関連する本をたくさん読んだり、いくつもの施設を訪れたり、集会に参加したり、
ということを多くの人に望むのは、無理だし現実的ではないけど、
ちょっとだけでも相手の立場で見てみるのは、悪いことじゃないと思います。
特に若い人には、そうしてほしいです。
毎年この時期になると、韓国にいるのがしんどいなあ、と感じます。
でも、韓国滞在中は、多方面から韓国を知ることは続けていきたいです。
写真は、2013年8月7日韓国各紙の切り抜きです。

湿度が高いから、よけいつらいでしょう。
早く涼しくなるといいですが。
ソウルもとても暑いです。
が、40度近くまで気温が上がることもないので、何とかガマンできます。
今日もまだ暑いけど、時折涼しい風が部屋に入ってきます。
今日8月15日は、ご存知のとおり韓国では祝日です。
でも外には出ず、家で過ごしています。
8月15日に何かを書く……とても複雑で、むずかしいですね。
私の母は、広島出身。
私が育ったのは関東ですが、夏休みはよく広島で過ごしました。
原爆ドームは、幼いころからなじみのある存在です。
広島の内陸部に住んでいた母は、原爆投下後次々とトラックで
運ばれてきた被爆者の介護をする救護隊でした。
亡祖母もそうです。
母から一度だけ、当時の惨状を聞きました。
亡祖父は、投下日前日まで広島市内に滞在。
詳しい事情は忘れてしまいましたが、投下日当日も市内にとどまる可能性も
あったのだそうです。
そこは爆心地に近いところだったので、もし残っていたら、亡くなっていた
でしょう。
人の運命は紙一重だと感じます。
しかし祖父は、原爆投下直後の市内に入り、会社の同僚を探しまわったそうです。
祖父から直接聞いたのではなく、亡くなった後に母から聞いた話ですが。
私が生まれたころ、祖父は失明していたので、私にとってはそれが祖父の最も
強い印象でありつらいことだったのですが、入市被爆のことを死後初めて知り、
よけいにショックでした。
原爆ドームが身近だった私にとって、長い間、戦争=原爆でした。
それが、80年代の中国留学中、知らない中国人から戦時中日本がしたことに
ついて突然責められるという経験をして……とても混乱しました。
一度は、一人列車に乗っていたときに囲まれて責められたので、あのときは
殺されるかと、本当に恐怖でした。
その後しばらくしてから、戦争をどうとらえたらいいかを考えようと、
いろいろ試みました。
日本、中国で出された戦争関係の本を読んだり、いろいろな集会に顔を出したり、
日本国内、海外の戦争に関する博物館に通ったり……
でも今でも、どうしたらいいのか、よくわかりません。
というか、ますますわからなくなってしまいました。
今、日韓、日中の関係がとても悪いことは、とても悲しいしつらいです。
どうしたらいいんでしょう……
今自分に思い浮かぶことのひとつは、日本人には、韓国や中国の戦争関係の
施設に、ひとつくらいは足を運んでほしいということ。
韓国や中国の人には、広島、長崎は一度訪れてほしいということです。
決して楽しいことじゃありませんが、美味しいもの食べたり、観光したり、
楽しいこととセットにして。
関連する本をたくさん読んだり、いくつもの施設を訪れたり、集会に参加したり、
ということを多くの人に望むのは、無理だし現実的ではないけど、
ちょっとだけでも相手の立場で見てみるのは、悪いことじゃないと思います。
特に若い人には、そうしてほしいです。
毎年この時期になると、韓国にいるのがしんどいなあ、と感じます。
でも、韓国滞在中は、多方面から韓国を知ることは続けていきたいです。
写真は、2013年8月7日韓国各紙の切り抜きです。

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