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『パンダと爆買い』第2章 2度目の留学 貴重なビニール袋 続き

第2章 2度目の留学
      貴重なビニール袋 続き

 留学後何年も経ってから中国を訪れたときは、道端にファストフードを食べ
たあとのゴミと、ビニール袋のゴミがたくさん捨てられ、ふわふわと浮いている
のを見、ゴミひとつとっても中国は変わったなあと実感しました。
 外食に目を向けてみると、留学当時はファストフード店なし、カフェなし。
一人でぶらっと入って食事するというような環境ではありませんでした。ごく
普通の食堂は、衛生面でちょっとこわくて入りづらく、自炊せず一人で簡単に
すませるときは、道端で売っている焼き芋を買って食べたり、果物ですませた
りしていました。留学してそんなに経っていないころは、夜寮で一人バナナを
食べながら、涙がポロリ。日本では、親が食事を用意してくれるのは当たり前
だったけれど、有難いことなのだなあと思いました。
 90年代に旅行で上海に行き、ケンタッキーフライドチキンを食べたときは、
感慨深かったですね。ファストフードが特別好きなわけではないのに、今留学
したらもっと楽だっただろうなあ、なんて。

 食以外に、日々の生活で必須のことといえば、洗濯。寮には、洗濯機なんて
贅沢なものはありません。企業の派遣留学生や一部の金持ち留学生が持っ
ているだけでした。それだって、よく故障して困ると聞いたことがあります。
 一年間、服は手洗いしました。夏はまだいいけれど、冬は厚地の服が多く、
大変でした。幸い、乾燥していたので、どんなに厚地のものでも、部屋干しで
すぐにかわきました。洗濯は実に面倒で、もう二度と毎日手洗いなんてしたく
ないけれど、手で絞った衣服を部屋に吊るしていたのが加湿器的な役割を
果たし、喉にはよかったかもしれません。どんなに面倒で不便なことでも、
必ず長所はあるものです。
 2001年夏、大連の大学に短期留学したときは、共同ではありますが、寮に
洗濯機がありました。各部屋にシャワーもついていたし、80年代の留学と
比べ、だいぶ便利になりました。ただ、2001年の留学のときも、断水は時々
あったし、水質もよくなかったので、あまり変わらないこともあるのだなあ、と。
 ところで、洗濯機から思い出すのは、当時の家電製品の状況です。とにか
く、日本製がいい! という評判でした。中国人の家に遊びに行くと、日本製
の家電がどれくらい家にあるか、ひとつひとつ自慢げに説明してくれました。
 初対面の中国人との会話でも、私が日本人だとわかると、「ソニー、
シャープ、東芝……」というふうに、日本のメーカーの名前が次々と挙がる
ことが少なくありませんでした。まだ会話がそんなに流暢でなかったころ、
貴重な会話のネタだったので、日本のメーカーの中国名を必死に覚えまし
た。海尔(ハイアール)のような中国のメーカー名が話題になる時代が来る
とは、当時は想像もつきませんでした。

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『パンダと爆買い』第2章 2度目の留学 貴重なビニール袋

第2章 2度目の留学
      貴重なビニール袋

 日々の生活というのは、地味で目立たないけれど、文化や歴史を見る上で
欠かせない視点です。私は中国人家庭で育ったのではないし、1985年秋
から一年間暮らしたといっても、一留学生としての体験にすぎません。
中国の奥深いところまでは、見えていなかったかもしれない。それでも、当時
の留学生活から見えてくる中国というものがあります。それと今を比べると、
中国が如何に変わったかがわかります。
 「食」という面から当時を振り返ってみましょう。といっても、グルメの話では
ないですが。
 食事は、留学生食堂でしていました。が、油っこいし、メニューも多様では
ないので、食堂で食べ続けるのがしんどくなりました。夢におひたしが出て
きてしまうほど、あっさりしたものに飢えていました。
 自炊したい! でも留学生寮には、キッチンがありません。そこで、電気
コンロや調理器具を買ってきて、自炊を始めました。流し台は部屋にありま
せんから、共同の洗面所で。不便だったけれど、和食が食べられるのなら
何でもありませんでした。
 食材は、近所に日本のスーパーのようなものなんてありませんから、
大学近くの市場で調達。市場では、ほしい野菜が、一年中売っているわけ
ではありません。最初は困ったけれど、じきに、あるもので作るしかないと
割り切るようになりました。今、買い物に行けないとき、冷蔵庫にあるもので
何とかメニューを考えて料理するのが苦にならないのも、あのころ鍛えられ
たおかげです。
 市場の野菜は大きさも不揃いで、曲がっていて、見た目は不細工。でも、
味はとてもよかったのです。幼いころ食べたトマトやナスの味でした。日本
では、もうこういう太陽の恵みをたっぷり受けてできた野菜ってないなあ、
なつかしいなあと思いながら食べました。今思うと、誰かの歓送迎会で
食べた料理や、年配の人にごちそうになった高級料理よりも、美味で印象
に残るものでした。
 留学からだいぶ経ち、久しぶりに訪中したとき、スーパーに並ぶ形のいい
野菜を見、中国の野菜も日本のように味が落ちてしまうのかな、とちょっと
さびしさを覚えました。経済が発達する、暮らしがよくなるとは、こういうこと
なのか、と。
 市場での買い物で、最初不便だったのが、袋に入れてくれないことでした。
卵もケースに入っていないので、割れてしまいそうで。しかたないので、卵用
のケースを準備して行きました。もやしのように、手さげ袋に他のものと一緒
に入れられないようなものも、袋入りで売っていません。ビニール袋に入れ
てほしいと頼んだら、ずいぶん高い袋代を要求されました。
 ビニール袋、本当に貴重だったのですね。そんな感じだったので、日本から
持って行ったビニール袋が宝物のようで、何度も洗って繰り返し使いました。
今でもビニール袋をついためてしまうのは、留学時の経験というかトラウマに
よるものです。おそらく日本では、私の親世代くらいの人の習慣でしょう。

今回はここまで。続きはまた次に!(^^)!

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『パンダと爆買い』第2章 2度目の留学 市の中心部にも馬車

第2章 2度目の留学
      市の中心部にも馬車

 1985年3月、大学を卒業し、同年秋から一年間中国に留学しました。留学
先は、大学在学中に短期留学した北京語言学院(北京語言文化大学)です。
 1983年夏の短期留学から2年しか経っていなかったので、目にする風景に
大きな変化はありませんでした。人民服を着た人々、自転車の大群、あち
こちで見かける馬車。
 どれも、今では見られなくなってしまいました。のちに私は、大阪の府立高
校で、中国人を主とした外国人生徒に日本語を教えるのですが、生徒たち
に留学時の万里の長城で撮った写真を見せたら、ゲラゲラ笑うのです。
何も可笑しなものは写っていないのに、なぜ? と疑問に思っていたら、
 「うわあ~、人民服着てる~!」
と。私にとっては、中国人の服装は人民服なのに、90年代に生まれた彼ら
にとって人民服は、現実ではない、歴史上の、過去のものだったんですね。
 交通手段の変化も大きいです。80年代の留学時、私の主な交通手段は、
バスか自転車、たまに地下鉄、でした。おそらく中国人も同じだったと思い
ます。当時は、自家用車なんて見かけず、普通サイズの車はたいてい
タクシーでした。ですから、今中国に行くと、車だらけなのが、本当に信じら
れません。
 馬車は、90年代に訪れたころまでは、北京市内の中心部でも見かけました
が、それ以来二度と見ていません。ちょっとしかなかった北京の地下鉄も、
今はずいぶん路線も増えて複雑になり、乗客も増えました。
 原っぱみたいだった北京市郊外も、今はビルだらけで昔の面影はあとかた
もありません。北京大学の辺りを、2012年夏に歩きましたが、留学時に時々
訪れていた場所がどこにあるか、さっぱりわかりませんでした。
 目にする光景をひとつとっても、80年代から今までの日本の変化と比べ、
中国の変化は本当に大きいなあと思います。

*CommentList

2つの言語、同時に維持するのは難しい

今日、上野動物園のパンダのシンシン、出産したそうですね!
無事に育ってくれますように!

『パンダと爆買い』、第1章が終わりました。
第1章は短く、第2章からはもう少し長くなります。
第7章までありますが、韓国から帰国後のことを書いた部分については、
若干修正を加えるかもしれません。
韓国滞在中のところまでは、そのまま書きたいと思います。
区切りのいいところで、こうしてたまに他のことを書きます。

最近フェイスブックで、過去のこの日の記事の中に、中国語の聞き取り
教材を少しずつ進めていると書いたこのブログのシェアが出てきました。
48項目あり、昨夏の引っ越し前まではがんばってやっていました。
が、引っ越し後しばらくは、『パンダと爆買い』執筆で忙しく、その後は
韓国の新聞の連載記事が始まってしまい、ずっとやっていません。
41まで終わり、あと7つなんですが……
少しずつでもやればいいんですよね。
でも、なかなか。少なくとも、連載が終わりに近づくか、終わるまでは、
できないでしょう。

ブログにも書きましたが、昨年中国の長編小説『兄弟』を読みました。
面白くて夢中になって読み、中国語世界を復活させたい! と思いました。
が、今は韓国語のほうで精いっぱいです。
韓国語のほうが、中国語と比べ学習歴もうんと短いので、余裕を持って
記事が書ける状態ではありません。
もっとも、一番大変なのは韓国語で書くことよりも、史実に基づいて、何を
どういう順序で書くか、のほうなのですが。
外国語として勉強した言語、どうしても語彙、文法ともに乏しく、限られた
語彙や文法で書きがちになってしまいます。

今年、韓国の友人から韓国の小説をプレゼントされた話を書きました。
自分の文章力を向上させるためにも、精読して読んでみよう、そう書いたと
思います。
実際に、始めてみました。
が、時間かかりすぎ……
話の先も知りたいし、わからない言葉があっても、あらすじさえわかれば
いいので、精読はやめ、寝る前の楽しみとして辞書をひかずに読み始め
ました。
もう1冊、食文化の本も、辞書をひかずに、寝る前に少しずつ読んで
います。

わからない単語や、これ使える!と思った表現は、できれば書きとめておく
と、自分でも使えるようになるのですけどね。
時間がない場合は、そうきっちりもやっていられません。
でも、原文を読むだけでも、体に浸透してくるという感触はあり、自分で
記事を書くときも、効果があるようには感じます。

歴史や文化財関係の言葉(名詞だけでなく、動詞、形容詞も)は増やしたい
ので、そういう関係の本だけは、印象深い文を書きうつしたり、使えそうな
単語を探し、意味を韓国の国語辞典で調べたりはしています。

結局、時間的に余裕があるかどうかよりも、私はまだ韓国語の原文の入力
が足りないんだな、と感じています。
原文の入力と自身で文を書くのと、並行して行うのはしんどいことはしん
どいですが、実践が一番うまくなる道なので、今年はこれでがんばるしか
ないな、と。
中国語に触れる時間を増やすためにも、韓国語の原文の入力、しばらく
がんばります。
何語にせよ、外国語がわかると、人との交流、読書、その他できることが
増え、世界が広がるので。

『パンダと爆買い』第1章 中国との出会い ―おまけー 男の手料理

第1章 中国との出会い
      ―おまけ― 男の手料理

*各章最後には、「おまけ」をつけています。

 80年代の中国留学は、いろいろな面で私の価値観に影響を与えました。
中でも大きかったのが、料理をする男性の姿です。
 中国で家庭に招かれると、心を込めたおいしい手料理が待っていてくれ
ます。その作り手が、男性のことが多く、驚きました。女性ももちろん作ります
が、「うちはだんなさんのほうが、料理上手なのよ」と、奥さんは接客係の
ことも。
 日本で高校に通っていたとき、男子生徒の中には、「女の子は勉強がそん
なにできないほうがいい」「勉強ができる女子は、かわいくない」と言う人が
いました。大学に進学しても社会人になっても、「女の子は料理ができれば
いいんだ」「結婚して、奥さんと共働きなんて、オレのプライドが許さない」
などと聞かされ、がっかり。私の父は料理、針仕事など家の中のことが一通
りできる人で、女に学問は要らない、という人でもなかったので、学校など外
で封建的な発言を当たり前のようにする男子がいることに、最初はとても
驚きました。が、何度も似たような話を耳にし、そんなものなんだと思うように
なりました。
 ところが中国では、男性が当たり前のように料理をするし、女性も当たり前
のように外で働きます。子育ても、そう。留学していた学校のある男の先生は、
幼い子どもの送り迎えは私の仕事、とにこにこしながら話してくれました。
教員宿舎が学校の敷地内にあり、教室と自宅が近いので、遠くの職場に通う
奥さんよりも私のほうが融通がきくから、と。男か女かよりも、時間のあるほう
が、より得意なほうができることをするんだ、と何人もの人から言われました。
以前と比べると、今は日本もずいぶん変わりましたが、それでも80年代に
中国で受けた衝撃は、今でも忘れられません。
 家族の転勤で2011年から3年間暮らした韓国では、昔の日本に引き戻され
たような感覚でした。家族の仕事で住んだという立場も関係あるとは思います
が、奥さんとしてどうかという視点から見られがちで、大変窮屈に感じました。
国際的な調査で、男女平等や女性の社会進出といった項目が入ると、日本
と韓国は常にビリ争い。日本でも韓国でも、暮らしていて私が居心地悪いなあ
と感じているものが、そのままそういった調査結果に表れているようでした。
 それでも、韓国もそういった面で変わりつつあり、韓国の新聞でもお父さん
の料理教室といった記事を目にしました。韓国の書店でも、男の手料理と
いった路線の料理本が売られています。韓国に住み始めたとき、日本でよく
買っていた小松菜などの葉物野菜が見つからず、せっかくなので日本で見た
ことのない様々な葉物野菜を調理したり、家でも作れそうな韓国料理に挑戦
してみようと思い立ちました。調理法を知るため、書店で料理本を買うとき、
料理研究家の本は高レベルなので除外し、「お父さんの……」「だんなさんの
……」といった男の手料理的な本を探しました。おかげで、韓国ならではの
おいしい食材を使って自分でも料理することができました。レシピを読むのは
韓国語の勉強にもなり、一石二鳥でした。

ご案内

プロフィール

はこ

Author:はこ
2011年3月~2014年3月の3年間韓国で生活。韓国滞在中の2013年2月に「もっともっと韓国」開始、完全帰国後も大阪からしばらくの間韓国情報を中心に発信してきました。が、帰国後日本、中国語文化圏の情報が増えたこともあり、タイトルを「もっともっとアジア」にしました。より多様な内容で進めていきますので、今後ともよろしくお願いします!
拙著『不思議がいっぱい韓国』もよろしくお願いします!

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